義足の英雄 テリー・フォックス「希望のマラソン」

  

このカナダの1ドル硬貨に描かれている人物をご存知でしょうか(2005年に作られた記念硬貨)

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photo from http://www.cdncoin.com/product-p/623932281158.htm

この人の名はテリー・フォックス。カナダに住んでいる人なら誰でも知っている英雄なんです。 今日はこの偉大なカナダ人 テリー・フォックスをご紹介します。

テリー・フォックス生い立ちと突然の悲劇

1958年7月28日、テリー・フォックスはカナダ・ウィニペグで生まれBC州のポートコキットラムで育ちました。幼少期はサッカー、ラグビー、野球などスポーツが大好きな少年で、とりわけバスケットボールに熱心に打ち込んでいました。

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photo from http://www.windsorstar.com/Photos+Terry+Marathon+Hope/2874749/story.html

1977年、サイモンフレーザー大学でバスケット部に所属していたテリーは右膝に痛みを感じ病院へ。そして彼は医者から骨のガンである「骨肉腫」だと宣告されます。
当時の医学ではどうする事も出来ず、テリーは右足(膝上から)を切断しなければならない結果に。

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photo from http://www.windsorstar.com/technology/Photos+Terry+Marathon+Hope/2874749/

失意の中で目にしたもの

右足切断という悲劇が襲った時、彼はまだ18歳でした。
病院にいる間、ふと周りを見渡した時に彼が目にしたものは自分よりもずっとずっと幼い子供たちが懸命にガンと闘っている姿でした。この時、彼はこう思います

I saw kids my age and younger . . . and you can’t leave something like that and forget it. I couldn’t, anyway. I had to try to do something about it.

何かしなきゃいけないと思った
自分よりも幼い子供たちが病気と闘い、そして亡くなっていく姿を目にした彼はこのまま黙って見過ごす事が出来なかったのです。

Marathon of Hope(希望のマラソン)

1980年4月、テリーは一人でも多くのガン患者を救う手助けになればとMarathon of Hope(希望のマラソン)と名付けたガン研究資金集めの「カナダ横断マラソン」を決行します。

そのコースは、ニューファンドランド州のセント・ジョンズからバンクーバー島のポートレンフリューまでの8,000kmを走破するというもの。

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photo from http://myhero.com/hero.asp?hero=T_fox9_LC_whday_CA_2010_ul

現在では義足も開発が進み、ウサイン・ボルトが持つ陸上男子100メートルの世界記録(9秒58)に0.99差と迫った義足ランナー、アラン・オリベイラ(最速記録10秒57)の出現により世間を驚かせましたが、今から35年前の義足はと言うと

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photo from http://www.theglobeandmail.com/news/national/new-museum-of-history-exhibit-honours-terry-fox/

足と義足の接触面が固く想像しただけでも痛そうですが、この義足でテリーは1日26マイル(約42km)を走行。炎天下や雨の中でも毎日フルマラソンの距離を走ったのです。

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photo from http://t.thestar.com/#/article/sports/basketball/2010/09/18/terry_fox_still_has_power_to_inspire.html

挑戦の途中で

テリーは、義足で自転車に乗り彼を追いかけてくる少年に出会いました。彼の名はグレッグ君10歳。自分と同じ骨肉腫で左足を失ったグレッグ君が懸命に闘う姿を見て胸を熱くするテリー。

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photo from https://www.facebook.com/terryfoxfoundationinternational

彼は午後OFFを取りグレッグ君と過ごす事にしました。その時の様子がこちら
☆約4分の映像ですが、とても感動的な映像なのでぜひ最後までご覧下さい

グレッグ君とスイミングを一緒に楽しんだテリーですが、テリーに同行していた親友のダグさんの話によると、彼は右足を失ってから一度もスイミングに行った事はなかったそうです。
彼は、この日の事を「人生で一番感動的な金曜日だった」と語っています。

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photo from https://www.facebook.com/TheTerryFoxFoundation/posts/10152684409283745

夢半ばで、、、

1980年9月1日、テリーを鈍い痛みが襲います。オンタリオ州のサンダーベイ付近に差し掛かった時、テリーは自分を待ち受ける多くの人々の姿を目にし、痛みに耐えながらも必死に前に進みます。観衆が居なくなった所でテリーは伴走していた車に乗り込み、彼をサポートしてくれていた友達にこう告げます。「病院に行ってくれないか」

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photo from https://www.collectionscanada.gc.ca/cool/002027-2106-e.html

診断の結果、ガンが肺に転移していたことが分かりました。その大きさはレモン2個分にも相当する、とても大きなものでした。スタートしてから143日目、5373km地点でテリーは夢半ばにして断念せざるを得ませんでした。

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photo from https://www.youtube.com/watch?v=g1HheJV-pNM

引き継がれたテリーの「希望」

Even if I don’t finish, we need others to continue. It’s got to keep going without me.
(意訳:もし僕がゴールできなくても他の人が続けなくては。僕なしで進まなきゃいけないんだ)

この言葉通りテリーを応援する人々の輪が更に大きくなり、テリーの歩みが止まろうとも人々の様々な行動は広がり続けました。

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photo from https://www.facebook.com/terryfoxfoundationinternational

カナダの民放テレビCTVではテリーの入院から8日後の9月9日に5時間にも渡る特別番組が組まれ募金を募り、この日だけで1,000万ドル(CAD)を集めました。

カナダの全国民(当時約2,400万人)から1ドルずつ募金してもらえれば嬉しいと思っていたテリーの願いは、1981年1月に募金額が2,400万ドル(CAD)に達し、その後今日までに約7億ドル(CAD)が集められたそうです。

カナダ国民の最も悲しい日

1981年6月28日、1ヶ月後の23歳の誕生日を目前にテリーは旅立ちました。
テリーが「感動的な時」を共に過ごしたグレッグ君も、まるでテリーを追いかけるように6週間後の8月11日に眠りについたそうです。
こちらロッド・スチュアートがテリーに捧げた歌。涙が出ます。
Never Give Up on a Dream by Rod Stewart

看護師が語るテリー

1977年当時、テリーを担当していたAlison Inceさんは彼の「カナダ横断計画」を聞いた時、不思議と驚かなかったそうです。その時の気持ちを「We all thought if anyone could do it,he could」(私たちは、もし誰かがやれるとしたら、彼だろうと思っていた)と語っています。

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photo from http://www.peacearchnews.com/community/324216931.html  (写真はAlisonさん)

Alisonさんは彼のガンの再発を知った時の事を

I said a very rude word,which I will not repeat,and I burst into tears
(意訳:私はとても下品な言葉を口にしたわ、、、、。そして涙が溢れたのよ)

と語っています。Alisonさんは学校などで、テリーとの思い出をシェアしているそうです。
(Peace Arch Newsより)

Terry Fox Run(テリー・フォックス ラン)

22年という短い一生を駆け抜けたカナダの英雄との悲しい別れの翌年から、彼の意思を継ぎ、ガン研究の為の資金を集めるチャリティーマラソン「Terry Fox Run」が世界中で行われていて、今年は36周年にあたります。
カナダでは9月18日(日)日本では10月9日(日)に北海道(札幌)で行われます。詳しくは下記で確認して下さい。

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photo from terryfox.org

最後に

私自身、父を14年前にガンで亡くし、去年の6月に同じテレビ番組の制作スタッフだった仲間もガンで亡くしました。正直、このテリー・フォックスについて書く事をずっと避けていました。何故ならガンと闘いながら必死に生きてきたテリーと私の愛する人たちの姿を重ねてしまうからです。

結果、大泣きしながらこの記事を書き上げましたが、同時にこれが生きている私たちの使命なのかとも思いました。人は悲しくても苦しくても前に進んでいかなければならない。そして大切な人々の思い出とともに上を向いて歩いていこうと、あらためて決意させてくれたような気がします。皆さんにとってこの記事が、ふと立ち止まって命の輝きを感じるきっかけになってくれたら嬉しいです。

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