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トロントのこの人に注目!第3回目 ダックマン “TK Entertainer” 中村鷹人さん

  

年齢、性別、職業を問わず様々な理由でトロントで生活・活躍していらっしゃる日本人の方の声をお届けしている
「トロントのこの人に注目」
まずはみなさん、街でこの人を見かけたことはありませんか???

トロントダウンタウンの中心・ダンダス駅周辺で毎週末、バケツを叩くパフォーマンスを行う黄色い着ぐるみを着たこの“謎の日本人”は「ダックマン」の愛称で知られ、最近密かな話題となっています。

▶なぜ、着ぐるみを来てバケツを叩いているのか?
▶どんな思いを持ってパフォーマンスをしているのか?
▶そもそも、彼は一体何者なのか?

多くの疑問が渦巻く中、今回LifeTorontoでは、「ダックマン」こと“TK Entertainer”中村鷹人(以下:TK)さんに直撃インタビューを敢行。

「海外生活は自分探しではなく、自分作りだ!」と語るTKさん。
壮絶な生い立ちから「ダックマン」誕生の経緯、これからの夢と目標についても熱く語っていただきましたので、是非御覧下さい。

「誰かに必要とされたかった」幼少時代が原点

-トロント在住の日本人の間でも、「彼は一体何者!?」と話題になっています。まずはTKさんの簡単な経歴を教えてください。
青森県で生まれ、東京都で育ちました。幼いころに両親は離婚していて、見捨てられるように生後間もなく施設へ預けられました。

保育所へ通っていた頃は2週間に一度、母親が家に帰ってくるかどうかという生活でした。その時に母が置いていってくれるカップ麺やポテトチップスが命綱で、それがなくなると家にあったロウソクをかじってみたり、近所の公園に生えていたツツジや木苺を食べてみたり・・・。そんな幼少期でした。

現在の活動拠点であるダンダス駅前にて。普段の格好とのギャップがすごい、24歳。

小学校に入学して、はじめて友だちができました。真隣のマンションに住んでいた同級生で、よく学校が終わってからもベランダ越しに話をしていました。そんな彼が、ある日突然引っ越してしまったんです。事情を聞くと、「僕の泣き声、母から受けていた虐待の様子が聞こえてきて、とても耐えられない」と。

その時、僕は生まれて初めて「何かを失う」という経験をしたように思います。
もう、こんな経験はしたくない。だからその時、「常に笑っていよう」と心に決めたんです。
 
-そんな壮絶な幼少期、「エンターテイナー」を目指そうと思ったキッカケは一体何だったのでしょうか?
小学校1年生の時、クラスにも馴染めず1人で給食を食べていた時に椅子から転げ落ち、さらに牛乳もこぼしてしまいました。机の上は大惨事。それにあたふたしていた僕の様子を見て、クラスの皆が大笑いしてくれたんです。
 
その時、僕はこれまで感じたことのない「快感」を得ることが出来ました。「生きている!!!」という実感を、心の底から得ることが出来たのをよく覚えています。


それまでの僕は、何のために生きているのかもわからない、死んでいるも同然の状態でした。
この「誰かに必要とされる」という感覚が、エンターテイナーとして活動している僕の原点ですね。

-よしもとクリエイティブエージェンシー(吉本興業)が運営するお笑い芸人養成学校「東京NSC」(通称:NSCジュニア)に、小学生の頃から通われていたんですよね?
NSCには小学校5年生から高校卒業まで、7年間通いました。「お笑いとはなんぞや?」という勉強以外にも、緊張しない為のトレーニングや、劇、ダンスのレッスンなんかもありました。

数多くのお笑い芸人を排出しているNSC。今も多くの若者が集う。

NSCジュニアでの経験は今の活動にも大いに役立っています。当時、講師としていらしゃった山崎邦正(現・月亭方正)さんが「人間は、自分が予期しない事、想像を超えた出来事に対して笑う」とおっしゃっていたのが、とても印象深いですね。

大学卒業後、オーストラリアへ。「ダックマン」誕生秘話に迫る

-大学を卒業後、オーストラリアへ渡られることになります。
大学では社会学を専攻していました。社会学は「常識を疑う」ことが前提となる学問です。

勉強を進めていくうちに「英語が話せるようになれば、海外の人たちともコミュニケーションが取れて、笑わせることができるかもしれない」と思うようになりまして、オーストラリアはシドニーへの渡航を決めました。

シドニーでは1日13時間、英語の猛勉強。語学学校は3ヶ月で最下級から最上級クラスへ。

学校に通った結果、ある程度の英語力は身についたんですが、僕は一番大事なことを忘れていたんです。「英語が話せるというだけで、人を笑わせることは出来ない」ということです。

その頃、オーストラリア出発前に貯金していた資金は底をついていました。「何かしなければ」と追い込まれた時の人間の勢い、発想力、ひらめきというのはスゴイです。(笑)

何も考えずに「よし、バケツを叩いてパフォーマンスをしよう!」と決めました。早速捨ててあったバケツを拾って、2時間だけ練習。翌日からはもう、ストリートでのパフォーマンスを始めていました。(笑)

-のちに「ダックマン」と呼ばれる黄色い着ぐるみを着るようになった経緯はどのようなものでしたか?
日本を出発する時、友人がたまたま餞別としてくれたのが、黄色い着ぐるみでした。その当時は「要らないよ!」なんて言ってたんですが、半ば強引にオーストラリアへ持っていくことになりました。


もしあの時、あの着ぐるみを持ってきていなかったら、今の僕はいなかったかもしれません。このことについては、何か不思議な縁を感じずにはいられませんね。

-「ダックマン」のパフォーマンスをはじめられたころは苦労も多かったのではないですか?
これはトロントに来てからも同じですが、ホームレスの方々との場所取りは大変でした。なにせ彼らにとっては生活空間で、いきなりそこに入っていくわけですから。認めてもらうまでにはとても時間がかかります。酔っ払いにウイスキーをかけられたこともありましたよ。

これは後から知った話だったんですが、僕らのようにストリートでパフォーマンスを行うことを「バスキング」と呼ぶんですが、この文化はオーストラリアが発祥なんです。

そういった意味では、バスキングに理解のある土地でスタートできたことはラッキーでした。バスキングを守る警備員も配置されているくらい、オーストラリアではバスキングという文化が浸透しているんです。

-逆に、やりがいを感じる瞬間、バスキングの魅力とはなんでしょうか?
バスキングは観る人と直接対面して行うパフォーマンスです。観た人が楽しんでくれていたり、笑顔になってくれた時は、大きなやりがいを感じますね。「You’re amazing!」なんて言葉をかけられた時は、もう最高な気分ですね。

人間の作業の多くが機械化されている現代にあって、機械がとって代われないものの1つが「エンターテインメント」だと僕は思っています。観る側の皆さんと対峙して、「会話」をするように行うバスキングの魅力を日々感じています。


オーストラリアでは合計8ヶ月、「ダックマン」としてバスキングを行いました。オーストラリアでの僕の活動に密着した映画も撮影していただきました。カナダを含め、世界中の大小問わず多くの映画祭にエントリーさせていただく予定です。トロントでも上映することが出来れば嬉しいです。

オーストラリアに別れを告げ、ダックマンついに北米上陸!

-2017年5月に、シドニーから活動拠点をトロントへ移されました。トロントの印象、シドニーとの違いのようなものは感じますか?
一言で言うと「都会!」ですね。僕が育った東京の町並みに似たものを感じています。シドニーはオーストラリアで最大の都市ですが、高いビルは数えるほどしかありませんでした。

正直言うと、トロントに到着して以来、観光らしい観光というのをしていないので、まだ詳しくはわかっていないんですが・・・。(笑)あとは、英語の発音が綺麗だなぁと思いますね。

トロントには、エンターテインメント文化が根づいていて、観る人々の目も肥えているなぁと感じます。バスキングを行っていても、少し離れて立ち止まって、まずはじっくりパフォーマンスを観る、という人が多いです。「本当に価値のあるものを評価する」といった感じですね。

オーストラリアはどちらかというとその場の「ノリ」というか、一緒になって楽しもうという要素が強かったので、その違いには驚かされました。

海外生活は「自分探し」では無く「自分作り」である!

-今後の夢、目標についてもお聞かせ下さい
来年の5月を目処に、今度は活動拠点をニューヨークへ移そうと考えています。ニューヨークではダックマンとしてのバスキングはもちろんのこと、昔からの夢であるスタンダップコメディアンとしても活動したいと思っています。

将来的には「話芸」を武器に、北米、ヨーロッパをはじめとする「世界」を活動のフィールドとして、テレビ番組などのMCで活躍することが大きな夢であり、目標です。

音楽、ダックマン、マジシャン、そして話芸。世界中のあらゆる人に対して、エンターテインメントを提供できる存在になりたいと思っています。

-TKさんと同じように、夢や目標を持って日本を飛び出した若者が、トロントにもたくさんいらっしゃいます。
海外生活は「自分探しの旅」と表現されますが、僕は「自分作り」の場だと捉えています。そもそも持っていないものは見つけられませんからね。

持っていないことがいけないのではなく、持っていないということを認めて、それなら作るしかないぞ、と。それが海外生活であり、留学なのではないかと思います。

出来ないとか、無理というのはいつだって周りや自分自身で作り出してしまっているものではないかと思います。

「この一瞬が未来を作る」

僕が一番大切にしている言葉です。海外という絶好の場で、誰にも負けない「自分作り」をすることが大事なのではないでしょうか?

インタビューを終えて

というわけで、今回はダックマンこと”TK Entertainer”中村鷹人さんのインタビューをお届けしました。自分の思う道、やりたいことに全力で向かっていこうというTKさんの姿勢に、インタビューを通じて大きな刺激を頂きました。


インタビュー中、「恥ずかしいと思う時はありますか?」と質問したところ、『ダックマンとしてバスキングをする時は普段とは違うスイッチが入るので全く問題ないんですが、そのスイッチが入る前はすごく恥ずかしいなって毎回思っていますよ〜』とお答えになっていたのも非常に印象的でした。

“TK Entertainer” 中村鷹人さんの活躍に、これからも目が離せません!!!
 
 

■TK Entertainer 中村鷹人(なかむら たかひと)
1993年青森県生まれ、東京育ちの24歳。TKは名前の「鷹人」に由来する。
ダックマン、コメディアン、俳優、ミュージシャンなど多彩な顔を持つエンターテイナーとして幅広く活躍中。

「人々を笑顔に、幸せにすること」を自らのミッションとして掲げ、オーストラリアで1年間活動した後、2017年よりトロントを拠点に活動中。

自身の活動を追ったドキュメンタリー映画「When I Was Young, The World Didn’t Need Me.(幼い頃僕は世界から必要とされなかった)」が近日公開予定。

 

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